藤富保男散文集成 『詩の窓』(思潮社)

多様なことの喜びとその奥


      ——藤富保男散文集成『詩の窓』










詩の窓、いい言葉だと思う。詩に窓がある。光が入り、風が入る窓が詩にあるということの清々しさ。詩は爽やかであっていい。そして、重要なのは藤富保男氏の中でその窓がいくつもあるということだ。外国語に精通し、美術や音楽に精通し、ヴィジュアルポエトリーの活動に精通し、それらがすべて風通しのいい詩の窓を形作っていて、ちなみにスポーツの話題の次はストラヴィンスキーの話題(しかもストラヴィンスキーの発言から同一表現主義を主張した平戸兼吉の詩に話は移行する)であったりと、このエッセー集には本当に沢山の詩のエッセンスが籠められている。それは詩人藤富保男の詩質そのものでもあって、多芸多才な藤富さんがこれまでの経験を読者に語ってくれている、そんな気がする書物である。


 「ぼくがのちに、言語をこわすようになったのは、実は言語をこわすためにこわしたのではないし、無意味にこわしたのでもない。言語の機能を多角的に、あるいは次元を多くできないかと思ってしたことである。(「魔ダダ模様」)」と、ダダについての論考で語っているが、「多角的、次元を多く」は詩作品だけではなく、詩人本人の大きな意味での詩に対する姿勢でもある。


 ダダイズムから始まるこの書物は、芭蕉、柄井川柳、山下明生、織田正吉、北園克衛、ドビュッシー、エズラ・パウンド、山頭火、アレグザンダー・カルダー、西脇順三郎、ロルカ、新國誠一、高階杞—、星野洋輝、アンドレス・エヒン、まだまだ多彩な顔触れが並び、専門のE.E.カミングスやサティの話題も楽しく語ってくれる。書評の類を省いている『詩の窓』は、広い詩の視野の波に、読者は身を任せて遊んでいるうちに、従来の凝り固まった既成概念から解き放たれる。


作者の作品をどうぞ。




 


不満開          






左様であるか




と言ったまま
実は何も了解していないことあり
ふと
霧が頭の蠟燭の火を消したるによる





ああ 成程


とまた合槌打つが


汝の言葉は


砂漠の一吹きの砂煙の如く舞い散りぬ





肝要なるは
わがひげが
昨夕よりいかほど伸びたか
ということに過ぎぬ







 冷えた感情と知性によるデフォルメ。形や者を変えるのは比喩という作者の作品は、ほんのりと温かみがある。笑いやペーソスやさまざまな感情がさらりとした肢体を持って、押しつけがましくない。そう、ライト・ヴァースって、窓から一瞬吹きぬけてくる涼しい風なのであった。



[PR]
by matsuo-mayumi | 2012-07-05 23:57 | 詩について
<< 詩と写真 「透明と透明の側溝の脈」 詩と写真 「あるいは有機的で帰納を」 >>